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ヨーガとは最も古い文献はヴェーダと呼ばれる膨大な聖典群にあたり、ヨーガの教えとヴェーダーンダ哲学の主なよりどころは、 ヴェーダ後期のウパニシャッド(ヴェーダーンダ)になります。
ヴェーダーンダの中心思想は「梵我一如」といい、 すべての根底にはブラフマンと呼ぶ絶対的実存があるというものです。

この宇宙の根底であり最高である絶対的存在ブラフマン。
それは、”ひとつ”という言葉の意味を持ち、みなこの宇宙に存在するそれぞれは同じひとつであるという思想です。中期ウパニシャッドの「カタ・ウパニシャッド」ではアートマンという言葉が出てきますが、アートマンとは心臓を指し、それは臓器としてのものではなく胸のチャクラ(アナーハタチャクラ)を指します。
ですから「心臓内部の光である」とウパニシャッドは述べています。

私たち人はみな、個の存在としての肉体を与えられていますが、そのひとりひとりの胸の奥にはアートマンが存在しており、このアートマンとブラフマンは同じ、「ひとつ」であるということです。

宇宙の中で生きる我々人は、みな別々のようですが宇宙を創造する一部であり、それはひとつであるということ。
日々、流れ去るような生き方をしていくのではなく、自覚的に意識的に過ごしていく事で自分の在り方を見出し、自分の中のアートマンに目覚めていきましょう。

自分の外へ越えるものはブラフマンであり、この宇宙の本質に気づき自分の本質をこの人生で見出していきましょう。
「汝はそれなり/それは汝なり」というヨーガの言葉は、わたしは宇宙と共にあると自覚することです。
わたしはあなたでもあり、あなたはわたしでもあり、私は全てであるといった宇宙の真理に気付いていくこと。それがヨーガの道であり、自分を自覚的に生き、あなたらしい在り方の確立となるのです。

ストレスと自律神経

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ストレスの原因というのも時代とともにずいぶん変わってきました。
太古の初め、人々は自然の中で暮らし必要な時のみに心を動かすといったように「自然」と調和して生きていました。
農耕が始まり、持てる者と持たざる者とが生まれ 次第に他人との格差、名誉などによりストレスが生じ始め 戦が始まることになりました。

日本においては戦後40~50年前のストレスとは重労働やひもじさ、暑さや寒さなどの 「生きるための困難さ」によるものが中心でありましたがその後、経済の成長と共に冷暖房の完備や交通機関の発達など、物質的な困難さは解消され始め現代の生活は大変豊かになってきました。
それと引き換えに競争社会、スピード社会となり、 人間関係はより複雑化へと変化し様々な過剰反応(ストレス)が増大していったわけです。

今の時代は小学生でさえ「ストレス」という言葉を使うほどです。
彼らはほとんど不自由なく便利な環境の中で過ごしているわけですが、十分に体を使って遊べる場所も現実的に少ないですし、そのような環境のなか体を動かすことによって得る体験が乏しくなります。
そのため体を使うことそのものの低下が起きています。
物質的豊かさと共に、人は人が持つ能力を失い複雑な心理状態を持ち始め、ストレスを起因とする不調や病気が蔓延してきているのです。

そこには物質である「人」が、いかに物質で幸福や生きやすさを身につけようとも、人の本質的な部分を共に進化させていかなければ、どんなに物に恵まれた環境にいようと「生きることの意味」この本質的なものを見失っていく恐れがあるということです。

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ストレスを受けると、まず潜在意識や心の働きが大脳へ伝わります。
そして視床下部、脳下垂体から自律神経を伝わり体の各機能が働きます。

・・・道端でトラに遭遇したとします。想像してみましょう。
このような時、人の筋肉は固く緊張します。ゆったり弛緩していては瞬時に逃げることもできません。
そして心臓は1回に送り出す血液量を増やすため心拍数も増え、血管の壁を拡張させ血圧が上昇します。
体内にできるだけ早く血液を流して、瞬時に戦う態勢、あるいは逃げる(走る)という動きができるよう血液は太い血管へと流れますが 抹消には届けないので手足の冷えが生じます。
内分泌系ではアドレナリンなどの(元気・興奮)ホルモンが過剰分泌されます。

これらの働きは主に体の調節系を担う自律神経の交感神経系の働きによります。
こういった交感神経の働きは筋肉の収縮状態により脂肪が分解されやすいということもありますが、交感神経の過剰状態が続くと体は疲労し情緒不安定な状態へとなります。

また、自律神経の副交感神経の働きは、穏やかな心の状態、お腹が満たされている、睡眠時、休息時などでエネルギー消費を抑制したり蓄積したりする体調になります。
副交感神経の働きによって心身はリラックスの方向へと向かいますが、これも過剰になると無気力、ひ弱、怠惰、アレルギー体質などへと繋がります。

【体の過緊張の反応はトラに遭遇したのと同じ】

トラに遭遇しなくとも私たちはストレスを受けるとそれと同じ状態となっているのです。
いつも怒鳴り声があったり批判する声があったり(その声は他人の声でもあり自分の声でもあります)そういった不安的な状況の中では、トラが目の前にいるときと同じストレス反応が体内に起きているのです。

ストレスも様々で生きていく上で生じてくるものですが、しがみつく必要のない場所に自分の身の危険をさらしてでその場所に居続ける必要はないのです。
またストレス事態が悪いのではなく、そのストレスをどのように対処していくことが大切なのか、自分が自分のために何を大切にし、どう行動していくことが良いのかを考えなければいけません。
不安や恐れをひどく抱えていると緊張が強く(交感神経過剰)、自分自身を安全な場所(からだ)と感じることができません。
そんな時には意識的に自分に時間をとり、安心できる時間やほっとリラックスできる空間をもつことで緊張が弱まり副交感神経の働きをよくさせバランスを戻すことが必要です。

そして、穏やかさやのんびりさも行き過ぎれば副交感神経過剰優位に偏り、それにより些細なことでも過剰にストレスと受け止めてしまう体の抗体を作り、アレルギー体質となることも忘れてはいけません。

私たちの体の調節系を担う自律神経の働きはバランスが大事なこともわかりました。
そして体(調節系)のほうは、いつもストレスに上手く対応しながら日々私たちのために働いてくれているのです。
ですから私たち自身も生活の仕方や考え方、心の働かせ方をきちんと自らのこととしてこの体と心で探求していく姿勢が必要です。それが人をあらゆる成長へと繋げるのです。

ストレスマネージメント

ヨーガの教えでは目に見えるものは粗雑なものの表れで、移り変わるこ の世の中は幻であるといいます。
実在とは不変不動のものであり人の内に存在している魂(真我・アートマン)をいいます。

粗雑なもの(物質)が豊かになればなるほど「実在」に気づかなくなってしまうことで、人は調和から遠ざかってしまったのです。
この「実在」とは非常に微細なもので目に見えないものですから安易に理解することは難しいでしょう。
しかし、生きていく中で様々な欲望を満たしたり、何か目標を達成するといったあらゆる経験の中、心の底で他の「何か」が足りないのではないか?という事実に気づき始めます。
つまり、ひとつの「実在」に気づいていないということに気づき始めるのです。
ヨーガとはひとつの「実存」を知る具体的な方法です。

【ストレスその正体とは…】

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そもそもストレスとは「ストレッサー」という刺激、ストレスを感じる状況が起こることから始まります。
そしてその刺激に対しての反応がストレスの度合いとなってきます。
「反射的な反応」しかできないとき、それはその刺激に対して自分を見失っているときのはずです。
もう一方で「対応」しているとき、それはその刺激に対して自分を見失っていないときといえるはずです。
出来事は全て、自分に起きていることを「どのように受け止めるか」によ りそのストレスの状況、その出来事の価値は大きく変わっていきます。

自分自身が、どんな場面で誰と関わるとき、どのよう思考し(考え)、 そこからどんな感情を抱き、どのように行動しているのか(ストレス反応)を自分で自覚することです。
常に出来事に対して反応的な行動を起こし、その出来事に嘆いても状況 は何も変わりません。
その反応的な行動を自覚し、自分がどんなことに ストレスを感じているのだということを明確に知ることから解決の道が開きます。

「自分がどうしたいのか」という自分の中心で主体的に、自らのこととしてこの出来事に向き合う姿勢が必要です。
それと同時に自分の本当の感情を知ること、そしてそれを認めることも必要です。
他人や環境ばかりに嘆いていた状況から、自らが自らのために何をすべきなのかを探求し始めていくことは、 自分の中の真の実存に気づいていくことです。

そもそも自分に起こることが何でも自分の思いの通りであったり、どんな人間とでも分かり合え 何のトラブルも困難も起きずに生きていくという状況が在りえるのでしょうか?

常に平和で穏やかで、何の問題もなく一生を終えることがもし可能なのだとしたら、 本当にそれで幸せだと感じられるのでしょうか?
それはきっと、「幸せ」とはいえないのかもしれません。
人は様々な経験をするからこそ幸せを味わえるものです。失敗や苦しみを経験しながらそこから学び取ることで幸福の質が高まり、自分らしさを見出し生きやすさを得ていくのです。

【受動的態度、被害者意識】

反応的にとる行動のほとんどは感情に飲み込まれた行動のことです。
しかし、どんなに感情に飲まれても時間と共に落ち着いてくるのが心の働きです。

落ち着いた心になった時、自分のとった反応的な行動に罪悪感を抱くか、その行動を真実と見間違えて悲劇のどん底だと嘆くのか、それともそこから自分と向き合い、自分のことや相手のことをよく考えながら何を学びに変えていくことができるのか、それぞれぞんな選択をするかによって自らの行為の結果は変わっていきます。

どんなことも意味があると考え、愚かな自分に嫌悪したり避けたりすることなく自分に向き合える人は、必ずその失敗を価値あるものへと変化させていくことができます。
それをせず「自分はなんて人間だ…自分はなんて可哀想なんだ・・・」と運命を恨んだり、自らの命に対して受動的態度でしかいられないとき、それは出来事の本質、人の本質からかけ離れており、被害者の意識で世界に対して加害者だと訴えているのです。その結果苦悩が続くのです。

 

【ヨーガによって変容する心】

photo003ヨーガを続けていくと、反応的な行動をしていた状態から一時停止を押すように出来事を丸ごと見ようとする客観能力がついていきます。

客観的な視点とは、そこに全てを見切る意識が「自分の中に在る」ということです。
これは「内なる実存」に自分が繋がっている状態といえるでしょう。
しかし注意しなければいけないことは、落ち着いた自分、冷静な自分になりきろうとするのではないということです。
人の成長の大切な要素であるのが客観する能力ですが、それは決して心を動かさないようにすることではありません。

私たち人が持つあらゆる感情を上手に表現しながら意識的に生きることを選択できる力、それが表現できてこそなのです。

現代医学では近年急速に発達していますが、どうしても治せない病気や原因不明な病気は非常に多く蔓延しつつあります。
その理由の一つに、西洋医学では病気になったこと(結果)のみに焦点を置き、そこを修復、回復させていくという治療法がほとんどであるからです。
もちろん、それによって多くの病気が救われてきました。
しかし、人類の変化とともに人が抱えていく問題(ストレス)が変化してきたことによる病気の複雑さ、要するに病気の本質に焦点を当てなければ、根本的な解決には至らないのです。

ヨーガの知恵を本当に生かしていくためには、自分の本質的な傷に向き合わなければ根本的な解決には至らないことと同じです。
ヨーガの実践によって体験する穏やかな自分や落ち着いた自分と出会い、その安心感をもって自分の中の傷に向き合って癒しを起こしていくことです。

穏やで自分らしくあれるのがヨガマットの上だけ…などといった二面性を強めてしまうのではなく、だからといって日常の生活の中で客観ばかりで心を動かさないように抑圧した状態で冷静さを保とうとするのでもありません。
それらはどちらも自分を押さえつけた自分らしさを偽った行為です。

ヨーガの知恵を本当に生かすことは、自分の負った傷を知ること、そして受け入れることから始まります。
そんな風に自分を本当に大切にすることについて体験を通して学びを深め、自分らしさを見出していけるのです。

ヨーガは、肉体の健康とは健康のほんの一面にしかすぎないと考えます。断片的なアプローチで終らるのではなく、自分に困難な場面から逃げずに向き合うことです。自分の反応パターンを越えるために心と向き合い、魂を磨いていくのです。

ヨーガと人間五臓説

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ヨーガの智慧による人間の理解はタイッティリーヤ・ウパニシャッドに て五蔵からなる人間存在を解説しています。
自分という存在の構造を知り、働きを理解することです。
それにより外界からの反応的な作用に巻き込まれず自分を真我(魂・アートマン・ほんとうの自分)と一体化させ、 同時に宇宙の根源ブラフマンと一体となることを意味します。

このインド古来の身体観は、私たちの肉体は5つの鞘からなるといいます。
5つの各鞘の働き具合によって人のバランスが保たれると考え、身体内の精妙な鞘に生じた不調和は各鞘に影響を与えることになるというのです。

 
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一番外側に 「食物鞘」
最も粗雑なあらわれで食べ物で成り、その内側に存在する各鞘との繋がりを人の個の意識によって経験する大切な場所です。

2番目に「生気鞘」
生気(プラーナ)から成り、呼吸を通して体と心を繋ぐ部分です。心の働きによって呼吸は変化しますね。それらにより精妙に働く体内のプラーナをいかに働かせるかが変わるのです。それによって元気に見えたり落ち込んで見えたり、内部のエネルギー構造によって肉の体と共にみるもうひとつのエネルギーの体を人は感じ取るのです。

3番目に「意志鞘」
種々の感覚器官や想念に関する部分です。 五感を通して人は外界と繋がりあらゆることを認識していきますが、その感覚そのものの働きをさします。あなたの心の働きは正常にありますか?あらゆる感情がきちんと正常に働いていますか? 偏った思考により感情に自由を与えずにいると、ここの機能は麻痺してしまいます。

4番目に「理智鞘」
完璧な智慧に基づいた知性の働く部分を指し、物事や感情の判断決定を下す働きをします。その判断基準は過去の経験や記憶の印象の上に成り立つもの。本来の完全なる智慧に基づいたものであっても個として与えられた意志の自由さが自分にとって否定的な記憶の印象ばかりを刻めば本来の働きが弱まってしまうのです。

5番目に「歓喜鞘」
それは最も微細な構造の部分で宇宙意識によって満たされ歓喜にあふれます。”内在する歓喜鞘と共にあれば幸福で満たされる”と、スピリチュアルな意識に偏ることでグラウディングが不安定化し、現実的に目の前に起こることに対し対応する力が乏しくなります。歓喜鞘には自我が共に存在しています。その自我とは悪者などではなく「私が」生きている大切な証であるとともに、自我が本質的な愛に目覚めることで歓喜鞘にある「本質的な自己、魂、本来の自分」とともにあれるのです。

心と体のつながり

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身体に現われた病気や不調というのは、これらのどこかの鞘に生じた不調和が一番粗雑な肉体に現れ出たものとヨーガでは考えます。
肉体ではなく心に現われ出たものを心の病気、身体に現われ出たものを身体の病気、このように現代医学では「身体の病気」と「心の病気」 に分けますが、これらは本来切り離すことは難しく、どちらが先に悲鳴をあげたかというだけの違いなのです。

内心に存在する微細な鞘である歓喜鞘の輝きは、それぞれの次元の鞘とのバランスが保たれなければその光を存分に放つことはできません。
そのバランスが保てる時、人は真に幸福であり健康であるのです。

日々の思考、感情、それらをどう判断し表現しているのか、またそれは自分の望む姿なのか、といった客観的視野、そして感情の素直さ、 抑圧のなさ、こういった心のバランスが大事です。
これらの心の状態により呼吸に乱れが生じ、それが生気のからだを乱し、自律神経を介して免疫やホルモンをバラバラにさせます。
そうして体内に多量の活性酸素を作ってしまい体が疲れやすくなる、風邪をひき やすくなる、病気を招きやすくなる体調に傾けてしまいます。

心と体のつながりを知り、この世界が自分に善いことや悪いことを、また幸福や不幸を与えているのではなく、自らの判断があって この世界を体験していることに気づくことです。
その意識は自分自身の意思を強めます。
いつだって自らの判断をどのようにでも持てるかの自由を私たちは与えられています。コップの中の水が半分もあると認識するのか、半分しかないと認識するのか、その判断の仕方によって私たちの心は反応します。
本来の自分とは何なのか、と追求していく姿勢。それが、どんな状況が目の前に現れてもそれらを自らの学びに変えていく力となり、その人の歓喜を輝かせ魂を磨く生き方になるのです。

 

【人間馬車説とは】

人間五蔵説と同様に人間馬車説という例えがあります。
自分という存在は「人生」というこの道に進む「馬車」であるといいます。
そのことを深く自覚するための解説になります。

馬たちは人の運動器官と感覚器官。運動器官とは手、足、口、排泄、生殖を指し、感覚器官は触覚、味覚、聴覚、嗅覚、視覚を指します。
その馬の手綱を握る御者の存在。そして場所のなかには真我(ほんとうの自分)の存在。

この馬車は、自覚的に生きることが始まった時にはただの馬車でしかないかもしれません。
知識としてそれを知り、まず頭で理解しようとし始めます。
そして頭の理解で終わるのではなく、自覚的に意識的に生きることを続けていくうちに徐々にその馬車に強い意思が芽生え始めます。

明確な意識を通して自分と向き合っていく結果、馬車に乗っている「御者」を認識し始めるのです。
自分とはこの御者をのせた馬車そのものであり、自分という存在は常にこの御者と共にあるということ。そしてそれは「選択する権利を与えられいる」という自由を持ち合わせており、この御者の判断なしには馬は暴れることも勝手に進路を変更することもないのだ…と気づいていくのです。

馬車説は、こんな風に人と人生の関わり方そのものを表すことが出来ます。
自分が自分の人生の主となり、自覚的に意識的に自分の道を切り開いていくことによっての理解を助け、経験によって感じていくことのできるものです。

「真我(アートマン)を車中の主人と知れ。身体(シャリーラ)は車輌、理智(ブッティ)は御者、意思(マナス)は手綱と知れ。 諸感覚器官は馬たちであり、感覚器官の対象物が道である。真我と感覚器官と意思が一つとなったものを、 賢者は享受者(ボークタ)と呼ぶ」 (カタ・ウパニシャッド3-3~4)

呼吸法について

生きているとは、まさに呼吸をしていることです。
困難なことなく平和で普通に過ごしていると、生きていることそれ自体を当たり前と捉えてしまいがちですが、実はそうではないのだということを、時折気付きながら思い出しながら過ごしていくことが大切です。

今与えられていること全てを「当たり前」としてしまえば、問題なく普通に過ごしていることに対して不満を増大させてしまうかもしれません。
自分に起こることの不幸さや困難さばかり目につき、あれが足りないこれが不満だ、あの人は私を傷つけてばかりだ、過去のあんな出来事のせいだ、などと言って自分を最も可哀想な人間だと嘆き苦しみにとらわれてしまいます。
そうして「限りあるこの世界の価値」を忘れてしまうのです。

そんなとき、自分が“息をして生きていること”を思い出してください。
そしてそれは自らが吸おう、吐こうとせずとも、身体はそのようにそれを働かせこの体に命の息吹を与えていることに気づいてきましょう。

身体は小さな宇宙です。
この頭で考えることなく私たちは小宇宙によっ て“生かされている”のです。
体は様々なことを経験できる場として与えられた特別な土地、場所です。
ヨーガではこれをクシェートラと呼びます。

動くもの、動かないもの、目に見えるもの、この世界に表されたすべての物質、それらは永遠ではなくやがては滅び無くなるもの。
それが物質であるこの体です。その特別な物質である体に「命の源」が与えられ、息を通して私たちはこの世界で様々なことを体験できるのです。

これまで気づいたことはありませんか?自分の呼吸の変化と心の状態について。
息をすること、そしてその息の仕方というのは、様々な経験をするなか変化しているものです。息が苦しくなったり、落ち着いたり、非常にゆっくりとした深いものであったり、非常に速いものになったりと、呼吸のリズムはその時その時の心に応じて変化してます。

そして、その呼吸作用というものは私たち人が意識作用を及ぼしていける唯一の身体機能でもあります。自律神経の働きを直接的にコントロールすることができる唯一の働きです。

意識的に呼吸をすること、例えば呼吸速度を速めたり、遅らせたり、また強弱を変えることなどにより、脳の視床下部を通して身体内部の自律神経系、内分泌系をうまく働かせてくれます。それは身体内部の生気や心の力をコントロールすることに繋がります。

【呼吸を知る=自分だけの内なるリズム】

正しい呼吸を知ることで、絶えず変化する心と共に息苦しい状態で生きていることに気づきましょう。
呼吸の働かせ方によって心に影響を与えられることを知りましょう。
そのためにヨーガの調気法(プラーナーヤーマ)があります。

呼吸法は単に呼吸を整えるものだけではなく、身体内の生気のエネルギー(プラーナ)を整え 拡張させる役割があります。
心と呼吸は深く相互に関係していることを知り、心が呼吸に影響を与えます。
それは、身体内の生気エネルギーを乱すことも整えることもあるということです。
ということは呼吸をコントロールすることを身につければ心を変えられるということです。

単純に「呼吸を整えること=心が落ち着く」ではなく、「呼吸を通して身体内の生気エネルギーを感じそれらを整えること=心の落ち着き」を体得していきましょう。

自分自身の内なるエネルギーを感じ取る力というのは、この目に見えない心の様子を客観し、調整できる内なる力を感じ取ることと同じです。
この自分自身との繋がり方をヨーガの調気法(プラーナーヤーマ)の実践によって得ていけるのです。
まずは呼吸を知りましょう。ヨーガの調気法のひとつである完全呼吸法を身につけるために部分呼吸を学びます。
呼吸の仕方は主に3通りあります。 肩式(浅い)、胸式(中間)、腹式(深い)の各部呼吸です。

 

【部分呼吸法~セクショナル・ブリージング~】

a.腹式呼吸法
腹部に片手を当て、その腹部の動きを感じていきます。吐き出しながら腹部がゆっくりと内側へ沈み込みむようにします。
そして少しの間、自然に呼吸が止まった状態を保ちます。その後、腹部の力を緩めながらゆっくりと膨らむ腹部を感じて吸い入れます。
ここでも自然に息を保ち、また再び腹部を内に沈めながら吐き出します。
横隔膜を十分に使い、腹部の内臓をマッサージするようになめらかに繰り返してみます。

b.胸式呼吸法
胸部に片手を当てながら、その胸部の動きを感じていきます。
腹部を動かさないようにお腹を少し絞っておき、吸い入れながら胸部を広がるようにさせます。
腹式呼吸と同様、吸気と呼気の間は自然に息を保った状態をつくります。
吐き出しながら開いた胸が戻る (すぼむ)のを感じていきます。

c.肩式呼吸法
両腕を前でクロスさせ、肩に手を当てながらその肩の動きを感じていきます。
吸い入れながら鎖骨が上に引きあがるようにしつつ、両肩もわずかに上部後方へ引き上げます。
肺上部に強制的に息を流入し、また吐き出す息ではその肺上部から空気を出すように意識しつつ、体の動きも元に戻る様子をゆっくりと感じてみます。

マントラについて

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ヴェーダの教えはすべて「オーム」の音から始まります。
この言葉は三つの音「ア・ウ・ン」からなり、この三つの中に全ての始 まりから終わりが含まれていることを示しています。

「ア」から始まり、「ン」で終えるこの中に、全ての名前やあらゆるも のを含んでおり、宇宙を表す一言となる「聖なる音」です。そのことば(マントラ)はブラフマン(宇宙・絶対存在)と同質であり不滅のもの、絶対存在をあらわします。

そもそもサンスクリット語であるこの言葉、サンスクリット語が世界の 言語であるように、オームの音節はすべての始まりであるのです。

「オームは現在、過去、未来、そして未来の全てである。 3世を超えるものすら全てオームなのである」
マーンドキヤ・ウパニシャッド6-22

 

オームを唱えること、チャンティングにより私たちの声帯の振動を通 して自身やその空間を浄化し、その音からなる響き、波動は感覚神経を通して全身に働きかけ人を浄化します。
オームを唱えるこ とには、その人をアートマン(真の自己)とブラフマン(宇宙)とを繋 ぎ止め自分の中に称えるものを見出すのです。

また、ヴェーダの理論では4つの意識状態(目覚めている、夢を見る浅 い眠り、深い眠り、トゥリヤ)がありますが、 これはオーム(ア・ウ・ン)の音節と深い関係があります。
“ア”は目覚めている状態…感覚器官を用いて外界の対象を認識。
“ウ”は夢見る眠りの状態…感覚を用いて内なる対象を認識。
“ン”は深い眠りの状態…対象物(思考)がありません。

思考はなくとも睡眠中の心の状態に関する「知覚」があり、その後それを認識できるという心のはたらきがあるのです。
そして、ア・ウ・ンのその言葉の最後にやってくる“トゥリヤ”は、過去や未来などの二元性を持たず、また雑念もなく 「今」という現実に自己をありのまま認識する状態です。

一般的に私たちはこの世界で物事を判断するにあたり、二元性で成り立っているといえます。
“悪”を知ることで“善”を、また“小”を知ることで“大”をというように理解でき、そのどちらかだけということは在りえません。トゥリヤとはこういった二元性を持たない、それを超えた状態です。

「オームという一音のブラフマンを唱えながら私を念じ、肉体を捨てて逝く者、彼は最高の帰趨に達する」
バガヴァッド・ギータ8-13
「神様を指し示すものが、聖音オームである」 ヨーガ・スートラ1-27

―開講の祈り―
オーム サハナー ヴァヴァトゥ サハノーブナクトゥ
サハヴィールヤンカラヴァーヴァハイ
テージャス ヴィナーヴァディ タマストゥ
マーヴィドゥ ヴィシャーヴァハイー
オーム シャーンティ シャーンティ シャーンティヒー

神様 どうか師と弟子たる私たちをお守りください。 慈しみ下さい。 力あるものとならせてください。
そして私たちを智慧でみたし、 互いに嫌いあうことのないようお導きください。 オーム 寂静 寂静 寂静

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